冷え性、荒れ性、にきびに薬用入浴剤

“ヤングビーナス”命名の由来

ヤング(Young)とは若々しい、元気な、あるいは新しいということを意味します。
一方ビーナス(Venus)はローマ時代の神話に登場する愛と美の女神です。
ギリシャ神話ではアフロディテ(Approdite)として表現されていますが、いずれにしろ古くから“再生”や“豊穣”をもたらす“命”の象徴として伝承されてきました。
 

古代の詩人達は好んでビーナスを讃える詩を作りました。中でも有名なのはホメロスで、海の波から生まれた彼女がオリュンポスの神々のところに赴く様子をこう伝えています。

西風の息吹の湿り気をおびた力が/彼女を轟く海原の上を/柔い泡に包んだまま運んだ/
そして黄金の髪飾りをつけた季節の女神達が/喜んで彼女を迎え/不死の衣を着せてやった/
神々しいその頭(こうべ)には/黄金の冠を置いてやった/

海から生みだされた“命”がさまざまの自然のめぐみの中でささえられ、はぐくまれ、そして次の世代に伝えるための実りをもたらす。
そこにとこしえにつらなる“生命”の連鎖があることが、この詩からもうかがえます。
新しく、若々しく、そして活発な“生命”の躍動 — それがヤングビーナスなのです。
ヤングビーナスという名前がうまれたのは昭和33年(1958年)のこと。
製品の完成を間近にし、その不可思議な効能・効果に目をみはった創始者自身の発想により、この製品名が考案されました。
広く美と愛という範疇にとどまることなく、永遠の生命をやどすという意味をたくしてこの名前が与えられたのです。

ヤングビーナスの生みの親、佐分利清一

ヤングビーナスを開発、創造したのは、創始者佐分利清一(故人)です。

 
奈良県、高取の地に生を受けた彼は、剛直の気質にとみ、若くして会社経営を軌道にのせ、壮年期には十指に余る企業を運営していました。
特に鉱山業においては大きな財をなしたと伝えられています。
ところが昭和25年、経営していた九州の鉱山で落盤事故が発生。幾多の人命が失われました。
直接手をくださずとも、とうとい命を失くしたことにかわりはない。
「いのち」の重みは大きな衝撃でした。
この事故をきっかけに、彼はこれまでの会社を全て整理。
深く人生を顧みるに至ったのです。
彼が47歳の時でした。
長い省察三昧の末、たどりついた境地は「現世の利益ではなく、日々心の遺産を積むこと、残された人生を社会貢献へ尽すこと」だったといいます。
終戦間もない20年代、別府は戦いに傷ついた人達の大きな慰安の場所でした。

この豊かなめぐみの温泉を、誰でもが使えるようにしよう。それがひいては「いのち」を大切にすることになるのならば…。

彼の第二の人生のスタートでした。
ヤングビーナスの完成が昭和36年、研究開始から11年の歳月が流れました。
時に佐分利清一58歳。
齢、60間近にして、彼はその製品を自転車に積み、一軒一軒の扉をたたき、温泉を語り、ヤングビーナスの効能を説きました。
その当時は浴剤というものの認識が薄く、生活の水準も低く、推進活動は困難をきわめました。
しかし製品を開発すること、そしてそれを推進すること、此のいずれもが「いのち」にかかわる、これが彼の信念の当然に帰結でした。
創始者佐分利清一の信念は、晩年まで、毫もゆらぐことがありませんでした。
「いのち」に傷つき、「いのち」に目ざめた創始者が、その全てを賦して創り上げた製品、それがヤングビーナスです。

天然の素材を生かし、自然の流れにさからわぬもの。

昭和25年といえば、終戦の混乱もようやく沈静化の兆しをみせていた頃、その一方で日本の保養地はいずこも戦いに疲れきった人々が、傷をいやすために集まってきました。
全国一の湧出量を誇る別府もご他聞にもれず、多くに人々が温泉を求めてやってきたのです。
訪れる人の病はさまざまでした。
傷を受けた人、当時蔓延していた疥癬(皮膚病の一種)に悩まされている人、栄養失調、結核・・・と、まるで巨大な野戦病院のさまであったと伝えられています。
この時代、温泉の効果は大変なものでした。
単に局所的な治療にとどまらず、からだの疲れをいやし、全体の調子を整える作用、つまり温泉本来の作用がいかんなく発揮されました。
端的に言えば、戦いに疲弊した人々に“生きる気力”をつちかってくれたともいえるでしょう。
 

こうした天然のめぐみに創始者佐分利清一は強い感銘を受けたといいます。
そして彼の胸に一つの計画が芽生えました。
それは、この温泉の恩恵を全国に広められないかということです。
今の時代こそこのような混乱期であるが、将来必ず真の意味でのすこやかさを希求する時がくる。
しかもそれは自然の流れにさからわないもの、天然の素材を生かしたものが求められるはずだ。
人間も大きな自然の一部であるならば、その法則にそぐわないものがどうして生命をもちえよう。
そもそも人間は本来備わった自己回復力があるはずだ。
その機能を高め、一切の副作用の心配のないもの—それこそが温泉ではないか。
地球のめぐみであるこの温泉をどこでも自由に得られたら…。
これこそが社会へ貢献できる道ではないか。
そんな折、先代の目に映ったのは、この地方特産の“天然湯の花”だったのです。

噴気と青粘土がもたらす自然の結晶

別府はその地理的諸条件から、世界にも例がないほど多くの温泉がわきます。
しかも地熱活動が非常に活発なため、他の温泉地では少ない「噴気」がえられるのです。
さらに偉大な自然はこの地に「青粘土」という非常に特殊な土壌をもたらしたのでした。
青粘土は学名モンモリロナイトといい、地中のミネラルを多量に含んだ、ごく小さい粒子の粘土です。
この青粘土に高い温度の噴気が作用しますと、噴気中の硫化ガスが粘土中のミネラルを溶解すると同時に、下からの圧力のおかげで粘土上に絹糸状に結晶するもの。
これが別府温泉の“湯の花”です。
この湯の花は昭和43年、別府市の天然記念物に指定されています。
 

一般に湯の花(あるいは湯の華)と称されるものは、高圧高温の温泉水が地表に至るさい、一種過飽和の状態で沈でんしたものをさしています。
したがって、水に溶けない形として市販されていますが、別府温泉のそれは、こうしたものと根源的に異なるのです。
若々しいマグマの活動により発生する、いわば温泉のもととしてのガスの上に、さらに豊富なミネラルを含む青粘土を作用させ、その温度と圧力によって有効な成分を結晶させるという、きわめて合理的な手法により栽培されています。
しかも、温度を一定にさせるため、ワラのさしかけ小屋で管理するという独特の技術が考案され、受け継がれています。
湯の花小屋での湯の花製造技術は、昭和42年、別府市の無形文化財に指定され、さらに平成18年3月には、国の重要無形民俗文化財に指定されました。
 

こうした栽培技術の歴史は古く、遠く江戸時代にまでさかのぼります。
古い記録から、寛文八年(1670年)より、この地で明礬の採集が始められたことがうかがえます。
やがて明治17年、それまで工業の原料としていた明礬を“湯の花”と命名し、薬湯用として全国に向けて売り出しました。
湯の花の薬効が医学会の注目するところとなり、わが国の温泉医学の父であるドイツのベルツ博士も来別されました。
以後、京阪神を中心としてその名が高まったのでした。

自然の法則から生まれたヤングビーナス

“湯の花” の効用は確かに著しいものでした。
けれどもおおきな欠点もあったのです。

それは天然の素材そのままでは酸性度が強く、風呂釜がいたむこと、石けんの泡がたたないこと、更に精製度が低いために不純物が混入していること、また皮膚の弱い人には効力が強すぎるなどの短所をもっていたのです。
佐分利清一は、“湯の花” を薬として世に出すのではなく、あくまでも入浴剤としての挑戦を開始しました。

いつでも、誰でもが気軽に温泉を利用でき、その恩恵を受けるために、こうした短所は必ず越えなければならないハードルでした。

自然学・植物学・鉱物学とあらゆる分野を再び学んだ佐分利清一は、一つの結論にたどり着きました。
それは、火山より流れ出る酸性度の強い水が、川となり海に流れその一生を終えるときには、弱いアルカリを示すという事実です。
温泉も高温から低温へ、烈しいものから温和なものへ、酸性から中性へと荒々しいものをならし、落ちつかせ、さらにそれを豊かな実りに結びつけるすばらしい包容力の中に大自然の摂理がある。
これこそが“湯の花”を生かす方法だという結論を見出したのです。
“自然の二法”荒々しいものと優しいもの、高温と低温、陽と陰、動と静、全てのものにこの“摂理”が働いているとするならば、強酸性の湯の花に高純度のアルカリを配すればよいではないか。
かくして高純度アルカリ、セスキ炭酸ナトリウムとホウ酸を配した画期的な入浴剤の誕生となったのです。
こうしてヤングビーナスは、“大自然の摂理”そのままに、世に出されたのです。
時に昭和36年(1961年)、佐分利清一が研究に着手して11年もの歳月が流れさっていました。

ヤングビーナスの製造1号機とも言える、当社社宝のタライ

創業当時、創始者は最初の機械ともいえる、一個のタライからヤングビーナスの製造をはじめたのです。
強酸性を示す“別府温泉精製湯の花エキス”とアルカリ原料と酸性の各原料を適宜に調合し、直に手の感触で反応を確かめ、撹拌し製造をしたのでした。
大きなシャモジで一回に何百回となく撹拌し、一日に何十回となく製品を製造したのでした。
夜遅く、ようやく腰を上げると、重なる疲労から両手を上げることも、食事の箸を握ることさえもできないこともあったそうです。
『人生我勝』の精神でそうした苦労を乗り越え、今日の製造法の基礎を築きました。
現在社宝として、そのタライが大切に保管してあります。

ヤングビーナスの歴史は、この1個のタライから始まりました。

薬用入浴剤ヤングビーナスの商品紹介
薬用入浴剤ヤングビーナスの効果
薬用入浴剤ヤングビーナスの開発秘話