別府温泉の噴気と青粘土がもたらす自然の結晶

別府温泉の噴気と

青粘土がもたらす

自然の結晶

別府はその地理的諸条件から、世界にも例がないほど多くの温泉がわきます。

しかも地熱活動が非常に活発なため、他の温泉地では少ない「噴気」が得られるのです。

さらに偉大な自然はこの地に「青粘土」という非常に特殊な土壌をもたらしたのでした。

青粘土は学名モンモリロナイトといい、地中のミネラルを多量に含んだ、ごく小さい粒子の粘土です。

この青粘土に高い温度の噴気が作用すると、噴気中の硫化ガスが粘土中のミネラルを溶解し同時に、下からの圧力のおかげで粘土上に絹糸状に結晶が現れます。

これが別府温泉の“湯の花”です。

この湯の花は昭和43年、別府市の天然記念物に指定されています。

一般に湯の花(華)と称されるものは、高温高圧の温泉水が地表に至るさい、一種過飽和の状態で沈でんしたものをさしています。

したがって、水に溶けない形として市販されていますが、別府温泉のそれは、こうしたものと根源的に異なるのです。

若々しいマグマの活動により発生する、いわば温泉のもととしてのガスの上に、さらに豊富なミネラルを含む青粘土を作用させ、その温度と圧力によって有効な成分を結晶させるという、きわめて合理的な手法により採取されます。

しかも、湯の花が結晶化する環境を整えるため、ワラのさしかけ小屋で温度、湿度を管理するという独特の技術が考案され、受け継がれています。

湯の花小屋での湯の花製造技術は、昭和42年、別府市の無形文化財に指定され、さらに平成18年3月には、国の重要無形民俗文化財に指定されました。

こうした湯の花製造技術の歴史は古く、遠く江戸時代にまでさかのぼります。

古い記録から、寛文八年(1670年)より、この地で明礬の採集が始められたことがうかがえます。

やがて明治17年、それまで工業の原料としていた明礬を“湯の花”と命名し、薬湯用として全国に向けて売り出しました。

湯の花の薬効が医学会の注目するところとなり、わが国の温泉医学の父であるドイツのベルツ博士も来別されました。

以後、京阪神を中心としてその名が高まったのでした。

自然の法則からまれた別府湯の花入浴剤

自然の法則からまれた

別府湯の花入浴剤

“別府湯の花” の効用は確かに著しいものでした。けれどもおおきな欠点もあったのです。

それは天然の素材そのままでは酸性度が強く、風呂釜がいたむこと、石けんの泡がたたないこと、更に精製度が低いために不純物が混入していること、また皮膚の弱い人には効力が強すぎるなどの短所をもっていたのです。

佐分利清一は、“湯の花” を薬として世に出すのではなく、あくまでも入浴剤としての挑戦を開始しました。

いつでも、誰もが気軽に温泉を利用でき、その恩恵を受けるために、こうした短所は必ず越えなければならないハードルでした。

自然学・植物学・鉱物学とあらゆる分野を再び学んだ佐分利清一は、一つの結論にたどり着きました。

それは、火山より流れ出る酸性度の強い水が、川となり海に流れその一生を終えるときには、弱いアルカリを示すという事実です。

温泉も高温から低温へ、烈しいものから温和なものへ、酸性から中性へと荒々しいものをならし、落ちつかせ、さらにそれを豊かな実りに結びつけるすばらしい包容力の中に大自然の摂理がある。これこそが“湯の花”を生かす方法だという結論を見出したのです。

“自然の二法”荒々しいものと優しいもの、高温と低温、陽と陰、動と静、全てのものにこの“摂理”が働いているとするならば、強酸性の湯の花に高純度のアルカリを配すればよいではないか。

かくして高純度アルカリ性成分、セスキ炭酸ナトリウムとホウ酸を配した画期的な入浴剤の誕生となったのです。

こうして湯の花入浴剤は、“大自然の摂理”そのままに、世に出されたのです。

時に昭和36年(1961年)、佐分利清一が研究に着手して11年もの歳月が流れていました。

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